阿部豊(あべゆたか)
俳優、映画監督[日本]
(ハリウッドの無声映画で活躍後、日本に戻り映画監督となる)
1977年 1月3日 死去享年83歳
阿部 豊(あべ ゆたか、1895年〈明治28年〉2月2日 - 1977年〈昭和52年〉1月3日)は、ハリウッド無声映画期の俳優、また日本の映画監督。
来歴=
宮城県桃生郡矢本町(現在の東松島市)の出身。
仙台市立東二番丁小学校から私立東北中学に進学。
1912年(大正元年)、中学を退学してロサンゼルス在住の叔父をたよって17歳で弟と渡米。
特に目的があっての渡米ではなく、何となくアメリカに憧れたのだという。
農家に住み込んで農作業を手伝いながら小学校へ通い、ハイスクールへ進学。
友人に誘われ演劇学校に通い始め、そこで撮影所が日本人エキストラを募集していることを知り応募、早川雪洲と青木鶴子主演の『神の怒り』に端役で出演する。
それ以後、数々の映画にエキストラ出演する中で、米国在住の日本人俳優と交流するようになる。
阿部は、早川・青木夫妻の居候となり、早川の求めに応じて映画の脚本を書くようになる。
早川の薦めでセシル・B・デミル監督の『チート』で本格的に映画デビュー。
「ジャック・アベ」、「ジャック・ユタカ・アベ」の芸名で、ハリウッド映画で活躍。
トーマス・H・インス(Thomas H. Ince)、フランク・ボーゼイジ(Frank Borzage)の両監督からは演出術を学び、映画監督になるべく帰国。
1925年(大正14年)に日活大将軍撮影所に入社して『母校の為めに』で監督デビューする。
翌1926年(大正15年)にはハリウッドのソフィスティケート・コメディを日 ……
阿部豊が亡くなってから、47年と322日が経過しました。(17489日)