重宗和伸
映画監督[日本]
(本名・重宗務)
1971年 12月4日 死去病気享年76歳
重宗 和伸(しげむね かずのぶ、1896年7月27日 - 1971年12月4日)は、日本の映画監督、映画プロデューサーである。
本名の重宗務での活動も多い。
来歴・人物=
第二次世界大戦前の松竹蒲田撮影所で、本名の-務(-つとむ)名義で40本あまりのサイレント映画を監督し、その後、東京発声映画製作所の設立に参加して同所の所長となり、トーキー映画の監督作を発表した。
和伸名はおもにプロデューサーで、豊田四郎、阿部豊らの作品をプロデュースした。
義弟は映画監督・脚本家の村田武雄。
1896年(明治29年)7月27日、山口県玖珂郡岩国町(現在の同県岩国市)に生まれる。
2歳上の兄は、明電舎社長で、のちの参議院議長・重宗雄三である。
上京して東京府立第一中学校(のちの東京都立日比谷高等学校)を卒業、1918年(大正7年)に早稲田大学英文科に入学するも、演劇に没頭しまもなく中退した。
1923年(大正12年)、創立3周年を迎えた松竹キネマ蒲田撮影所に入社、同撮影所長の野村芳亭に師事、同年9月1日の関東大震災後、蒲田の機能を松竹下加茂撮影所へ移したころに入社した五所平之助が、重宗の下の助監督についた。
翌1924年(大正13年)の初めには蒲田撮影所の機能が復興し、野村たち現代劇部は蒲田に戻るが、柳さく子とのスキャンダルで野村は所長を降りることになる。
同年7月、野村監督の『大尉の娘』の地方でのロケーション撮影の帰りの列車の中で、助監督をつとめた重宗と五所に ……
重宗和伸が亡くなってから、52年と353日が経過しました。(19346日)