堅山南風 氏(かたやまなんぷう)
日本画家[日本]
1980年 12月30日 死去享年94歳
堅山 南風(かたやま なんぷう、1887年〈明治20年〉9月12日 - 1980年〈昭和55年〉12月30日)は、熊本県熊本市出身の日本画家。
本名は堅山 熊次。
横山大観に認められ、院展、日展などで活躍した。
花鳥画、特に鯉を中心とする秀逸な魚類を描いた。
1914年(大正3年)の日本芸術院再興にも加わり、同芸術院常務理事、日展参事などを務めた。
ほか、熊本市名誉市民、文化功労者、文化勲章受章者であり、大正から昭和にかけての日本画界を支える中核だった。
代表作に「白雨」。
略歴=
上京まで=
1887年9月12日、熊本県熊本市に三男として生まれる。
1888年に母を、1893年に父をと早くに父母を失い、以後祖父によって養育された。
1898年、熊本市立壺川小学校卒業を経て高木高等小学校に入学、1年時に写生した「ざくろ」が図画教師に称賛された。
この頃、地元で鯉を描く画家として著名であった雲林院蘇山に傾倒していた。
1904年、生家破産により家を閉じ、西子飼町の源空寺に居候した。
同年9月には養育を受けていた祖父が死去している。
翌1905年より図書館に通い木版印刷書籍口絵を模写するなどしていた。
翌々年1906年より地元画家福島峰雲に師事。
1909年、同郷の山中神風に連れられて上京した。
このとき、上京する電車の車中にて「南風」の画号を自ら選んだ。
号は『十八史略・尭舜篇』のうち「南風之詩」から取ったものだった。
上京後、神風の紹介により高橋広湖門下とな ……
堅山南風が亡くなってから、43年と326日が経過しました。(16032日)