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金島桂華(かなしまけいか)

日本画家[日本]

1974年 9月16日 死去享年83歳

金島 桂華(かなしま けいか、1892年6月29日 - 1974年9月14日)は、日本画家、日本芸術院会員。
福山市名誉市民。
人物= 広島県安那郡湯田村(現・福山市神辺町湯野)に父儀一郎、母シナの長男として生まれる。
本名は政太(まさた)。
絵の勉強は平井直水に師事、竹内栖鳳主催の竹杖会では西山翠嶂、西村五雲、橋本関雪、土田麦僊や小野竹喬、徳岡神泉、池田遙邨あるいは大村廣陽と同門である。
橋本とは1917年、共に揚子江を旅している。
私塾の衣笠会を主催し、藤島博文など後進の育成に努め、四条派と院体風を取り入れた花鳥画を得意とした。
万鉄五郎とは金島の妻が加わった参禅の会を介して知己を得る。
年譜= 1925年(大正14年)帝展で「芥子」が特選、1927年「鳴子九皐」(宮内省買い上げ)、1928年(昭和3年)「牡丹」で特選。
1929年(昭和4年)には小野竹喬や大村廣陽とともに帝展無鑑査に推薦される。
1930年から1939年まで京都市立美術工芸学校教諭を務める間、 1934年(昭和9年)帝展審査員に選ばれる。
1930年代半ばから日本画壇を支えるために力を貸し、「国防費献金京都日本画家有志会」の設立メンバーの一員として1937年(昭和12年)8月、石崎光瑤、登内微笑、堂本印象、中村大三郎、宇田荻邨、山口華楊、梥本一洋、福田平八郎とともに作家に呼びかけ、寄贈された作品の頒布会を開いた。
これを「京都日本画家献画運動」と呼び、およそ80名から寄せられた作品の代金をまとめ ……

金島桂華が亡くなってから、50年と66日が経過しました。(18329日)