ジャンボ鶴田 氏(じゃんぼつるた)
プロレスラー[日本]
2000年 5月13日 死去享年50歳
ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年〈昭和26年〉3月25日 - 2000年〈平成12年〉5月13日)は、日本のプロレスラー、スポーツ科学研究者。
本名及び旧リングネーム:鶴田 友美(つるた ともみ)。
全日本プロレスで活動した三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初の第30代AWA世界ヘビー級王者である。
概要=
1972年ミュンヘンオリンピックのレスリングである、グレコローマンスタイル最重量級日本代表を経て、その後全日本プロレスへ入門する。
ジャイアント馬場の後を継ぐ次世代・全日本プロレスの若き大型エースとしても期待され、順調に頭角を現しトップレスラーの1人として活動した。
しかし後にB型肝炎を発症したことにより第一線を退く形となる。
その後はレスラーとして現役生活を続けながら桐蔭横浜大学・慶應義塾大学、そして母校の中央大学で講師を務めるなど、教育者としても活動した。
山梨県東山梨郡牧丘町(現:山梨市)の出身。
山梨県立日川高等学校を経て、中央大学法学部政治学科卒業。
血液型O型。
ニックネームは「完全無欠のエース」「怪物」と付けられた。
座右の銘である『人生はチャレンジだ チャンスは掴め』は、鶴田のプロレスの師匠であったジャイアント馬場から継承している。
オリンピック出場時の選手名簿には身長193cm、体重110kgと明記されている。
来歴=
プロ入りまで=
広大なぶどう農園を営む家に生まれ、出生した時は3,000gで普通の大きさ ……
ジャンボ鶴田さんが亡くなってから、24年と192日が経ちました。(8958日)