ラッシャー木村 氏(らっしゃーきむら)
元プロレスラー、元相撲力士・木ノ村[日本]
2010年 5月24日 死去腎不全による誤嚥性肺炎享年70歳
ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimura、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、元大相撲力士。
本名:木村 政雄(きむら まさお)。
北海道中川郡中川町出身。
後期のエースを務めた国際プロレスでは「金網デスマッチの鬼」の異名を持つブルファイターとして活躍し、新日本プロレス参戦時は国際軍団の総帥としてアントニオ猪木と抗争を繰り広げ、全日本プロレスおよびプロレスリング・ノア在籍時はユーモアあふれるマイク・パフォーマンスで親しまれた。
2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。
来歴=
力士時代=
佐久中学校を経て北海道天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生であった。
夢であるプロレスラーになるための基礎体力作りとして、高校を中退して大相撲の宮城野部屋に入門。
1958年3月場所にて、木ノ村(きのむら)の四股名で初土俵を踏む。
幕下20枚目まで昇進したが「十両に上がったら辞められなくなる」という理由で1964年9月場所限りで、親方(元横綱・吉葉山)の慰留を振り切り脱走して廃業した。
とされているが、昭和39年7月場所と9月場所で連続1勝6敗と負け越しが続き、三段目への降格が確定していた。
国際プロレス時代=
大相撲廃業後、1964年10月に日本プロレスに入団。
1965年4月2日、木村 政美(きむら まさみ)をリングネームに、リキ・スポーツパレスにおける高崎山猿吉戦でデビューする。
豊登の付き人をしていた関係 ……
ラッシャー木村さんが亡くなってから、14年と142日が経ちました。(5256日)