レッド・バスチェン 氏
元プロレスラー[アメリカ]
2012年 8月11日 死去享年81歳
ローランド "レッド" バスチェン(Rolland "Red" Bastien、1931年1月27日 - 2012年8月11日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。
ノースダコタ州ボティノ出身。
現役選手時代は技巧派のベビーフェイスとして実績を築き、引退後はプロレスラーのOB会 "Cauliflower Alley Club" の会長を長年に渡って務めた。
来歴=
ハイスクール時代よりレスリングのトレーニングを開始し、サーカスに出場するカーニバル・レスラーを経て、朝鮮戦争従軍後にプロに転向。
その特徴的な赤毛とアクロバティックな空中技を得意とすることから、"フライング" レッド・バスチェン("Flying" Red Bastien)をリングネームに、1950年代はミネソタやイリノイなどの中西部を主戦場に活動した。
1960年、WWWFの前身であるNWAノースイースト地区のキャピトル・レスリング・コーポレーションにおいて、ルー・バスチェンことルー・クラインとの兄弟ギミックのタッグチーム、バスチェン・ブラザーズを結成。
同じく兄弟ギミックのジェリーとエディのグラハム・ブラザーズやアル・コステロ&ロイ・ヘファーナンのファビュラス・カンガルーズを相手に、USタッグ王座を巡る抗争を展開した。
ルー・バスチェンとのコンビ解消後はサンフランシスコやカナダのバンクーバーなどの太平洋岸を経て、1967年にオーストラリア(ジム・バーネット主宰のワールド・チャンピオンシップ・レスリング)に進出。
マリオ・ミラノをパートナーに、キラー・コワルスキ ……
レッド・バスチェンさんが亡くなってから、12年と102日が経ちました。(4485日)