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マリオ・ミラノ 氏Mario Milano

プロレスラー[イタリア]

2016年 12月9日 死去享年82歳

マリオ・ミラノ - ウィキペディアより引用

マリオ・ミラノ(Mario Milano、本名:Mario Bulfone、1935年5月15日 - 2016年12月9日)は、イタリア・トリエステ出身のプロレスラー。
アメリカ合衆国およびオーストラリアを主戦場に活動し、日本にも全日本プロレスの常連中堅外国人選手として何度となく来日した。
来歴= 少年期に家族で南米のベネズエラに移住し、学生時代はレスリングの選手となって活躍。
在学中にブラジル出身のプロレスラーであるヘニー・ハワードにスカウトされ、1953年にベネズエラの首都カラカスにて10代でデビュー。
ブラック・ディアブロ(Black Diablo)なる覆面レスラーとしても活動していた。
1962年に渡米し、初期はマリオ・ラ・パンテラ(Mario La Pantera)、後にマリオ・ミラノ(Mario Milano)のリングネームで活動。
テネシーのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)を主戦場に、甘いマスクと肉体美を持つイタリア人ベビーフェイスとして、同地区のヒーローだったジャッキー・ファーゴともタッグを組んだ。
1965年から1966年にかけてはレン・ロッシーをパートナーに、ヒロ・マツダ&カンジ・イノキやトージョー・ヤマモトらのチームを破りミッドアメリカ版のNWA南部タッグ王座を再三獲得している。
1960年代後半よりオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)を活動拠点とし、1967年9月8日にはキラー・コワルスキーからフラッグシップ・タイトルのIWA世界ヘビー級王座を奪取。

マリオ・ミラノさんが亡くなってから、7年と347日が経ちました。(2904日)

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