芸能人・経営者のおくやみ情報

ジョー樋口 氏(じょーひぐち)

プロレスレフェリー[日本]

2010年 11月8日 死去肺腺がん享年82歳

ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010年11月8日)は、日本の元プロレスラー、元レフェリー。
本名は樋口 寛治(ひぐち かんじ)。
愛称は「ジョー」。
神奈川県横浜市出身。
法政大学卒業。
俳優の樋口隆則は息子。
日本プロレスと全日本プロレスでレフェリー、外国人係を務めた後、プロレスリング・ノア監査役、GHCタイトル管理委員長を歴任した。
略歴= 実家は本牧の洋食材の問屋で、幼少時からコーヒーを嗜み、ジャズを愛好する少年だった。
周囲の環境から、英語や洋食の調理もお手のものであった。
また柔道の道に進み、二段まで昇段。
終戦後は進駐軍に柔道を教えていた(この時期に英語をマスターしたとの記述もある)。
日本プロレス時代= 1954年よりプロレスに転向し、山口利夫らが立ち上げた全日本プロレス協会で活動する。
団体の崩壊後は、吉村道明とともに日本プロレスに移り選手として活動し、1960年に引退した。
その後はいったんプロレス業界から離れるが、1963年から外国人係兼通訳として日プロに就職する。
当時は外食産業の洋食店がまだ普及していなかった頃で、料理好きを生かして遠征中に選手が滞在する旅館では無理を言って厨房を借り、ステーキやサラダ、スープなど洋食を作っては来日外国人選手に喜ばれた。
その評判は日プロ総帥の力道山の耳にも入り「わしにも食わせろ」と言わしめたほどで、興行中にもかかわらず会場を出て準備 ……

ジョー樋口さんが亡くなってから、14年と13日が経ちました。(5127日)