松浦詮(まつらあきら)
平戸藩主、政治家、茶人、伯爵[日本]
1908年 4月13日 死去
松浦 詮(まつら あきら)は、江戸時代末期の大名(肥前国平戸藩第12代藩主)で、明治時代の日本の政治家(貴族院議員)。
松浦家37代当主。
位階は従三位、爵位は伯爵。
明治天皇の又従兄弟にあたる。
略歴=
松浦秋(第10代藩主・松浦熈の三男。
母は政野氏)の長男。
幼名は朝吉、朝吉郎、源三郎。
嘉永2年(1849年)11月24日、伯父で先代藩主の松浦曜の養子となる。
安政2年(1855年)8月15日、将軍徳川家定に御目見する。
同年12月16日、従五位下・肥前守に叙任する。
安政5年(1858年)9月10日、家督を相続する。
慶応4年(1868年)1月8日、上洛して以降、又従兄弟にあたる明治天皇の側近くにあり続け(明治天皇国母中山慶子の母愛子は松浦清の娘)、2月3日に天皇が二条城に入城したときや大阪親征にもお供した。
五箇条の御誓文の場にも立ち会い、歴史の転換を見届けた。
4月21日に京都を発ち、平戸へ帰郷したが、平戸藩軍は戊辰戦争に官軍で従軍した。
詮は平戸藩兵の凱旋間もない1869年(明治2年)3月に再び上洛し、明治天皇の江戸行幸のお供をし、江戸でも参内が続いており天皇からの厚い信頼ぶりがうかがえる。
明治2年(1869年)4月、版籍奉還にともなって知藩事に就任する。
同年4月、従四位下に昇進する。
明治3年(1870年)4月26日、上局副議長に就任する。
同年9月、正四位に昇進する。
明治4年(1871年)7月、廃藩置県により、知藩事を免職となる。
その後、宮内 ……
松浦詮が亡くなってから、116年と222日が経過しました。(42591日)