伊達宗基(だてむねもと)
陸奥仙台藩主[日本]
1917年 1月27日 死去享年52歳
伊達 宗基(だて むねもと)は、江戸時代末期の大名、明治時代から大正時代の華族。
位階爵位は従二位伯爵。
伊達宗家の第30代当主で、仙台藩第14代(最後の)藩主、同藩初代知藩事。
幼名は建千代麿、亀三郎。
号は榴岡、鶴城。
生涯=
第13代藩主・伊達慶邦の四男。
母は仙台藩士・松岡時良の娘・道子(お勝の方)。
正室は松浦詮の三女・都子。
慶応4年(1868年)、父・慶邦が奥羽越列藩同盟の盟主になったために罰された。
のち家督を譲られて藩主に就いたものの、新政府により62万石の所領を28万石に減封される。
実高はもっと低く10万石程度であったために伊達家は伯爵となる。
明治2年(1869年)の版籍奉還後、仙台知藩事となり、北海道紗那地方の支配も命ぜられた。
しかし幼少であり、本来なら慶邦の跡を継ぐのは養子・宗敦であったため、明治3年(1870年)に謹慎を解かれた宗敦に知藩事を譲った。
廃藩置県後、明治17年(1884年)に伯爵となる。
明治34年(1901年)、明治天皇の仙台巡幸の際、伊達家に伝わる鶴丸を献上。
大正6年(1917年)に52歳で死去。
従二位を追贈される。
伊達伯爵家は弟の邦宗(慶邦の七男)が継いだ。
栄典=
1884年(明治17年)7月7日 - 伯爵
1885年(明治18年)10月20日 - 木杯一個
1888年(明治21年)10月15日 - 木杯一個
1890年(明治23年)12月16日 - 正五位
1891年(明治24年)3月24日 - 木杯一個
1892年(明治25年)11月10日 - 木杯一組
1893年(明治26年)10 ……
伊達宗基が亡くなってから、107年と298日が経過しました。(39380日)