蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)
版元[日本]
1797年 5月31日 死去享年48歳

.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}蔦屋(つたや) 重三郎(じゅうざぶろう)(1750年2月13日〈寛延3年1月7日〉 - 1797年5月31日〈寛政9年5月6日〉)は、江戸時代中期から後期にかけて活動した版元。
安永3年(1774年)に北尾重政の『一目千本』を刊行して以降、江戸日本橋の版元として化政文化隆盛の一翼を担い、大田南畝、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴、北尾重政、鍬形蕙斎、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽など多数の作家、浮世絵師の作品刊行に携わった。
本姓は喜多川(生誕時の本姓は丸山)、本名は柯理(からまる)。
通称は「蔦重」、「重三郎」といわれる。
号は蔦屋、耕書堂、薜羅館など。
商標は「富士山形に蔦の葉」とされた。
自らも狂歌のほか戯作の制作も行っており、「蔦唐丸(つたのからまる)」と号した。
その他、俳諧では「蔦十」と号して句を寄せている。
蔦屋重三郎が亡くなってから、229年と17日が経過しました。(83659日)



