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勝川春章(かつかわしゅんしょう)

浮世絵師[日本]

(寛政4年12月8日没)

1793年 1月19日 死去享年68歳

勝川春章 - ウィキペディアより引用

勝川 春章(かつかわ しゅんしょう、享保11年〈1726年〉または寛保3年〈1743年〉 - 寛政4年12月4日または12月8日〈1793年1月15日または1月19日〉)とは、江戸時代中期を代表する浮世絵師。
役者絵では役者個人の特徴を捉えた似顔絵風作画の先鞭をつけ、肉筆の美人画でも細密優美な作風で高い評価を得た。
来歴= 本姓不詳、「藤原」とする説もあるが確かではない。
諱は正輝、字は千尋。
俗称は要助、安永3年(1774年)に春祐助と改む。
画姓は初め宮川、または勝宮川、後に勝川、勝と称した。
号は春章、旭朗井、李林、六々庵、縦画生、酉爾。
江戸の人といわれるが、台東区蔵前の西福寺に伝わる過去帳には春章以前の父祖の名が記されていないので、春章の代で他所から江戸に来た可能性が指摘されている。
ただし春章とは知己の高嵩月が記した『画師冠字類考』(岩瀬文庫蔵)には春章の略歴があり、それによれば春章の父は医者で葛西にいたという。
明和年間から没年までを作画期とする。
絵を宮川春水に、また高嵩谷にも学び、英一蝶風の草画もよくしている。
北尾重政とは家が向かいで親しく、その指導を受けたという(『古画備考』)。
春章は立役や敵役の男性美を特色とし、容貌を役者によって差別化しない鳥居派の役者絵とは異なる写実的でブロマイド的な役者似顔絵を完成させ、大衆に支持された。
そのはじめとなったのは、一筆斎文調との合作として明和7年(1770年)に刊行 ……

勝川春章が亡くなってから、231年と304日が経過しました。(84677日)

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