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松園尚巳 氏(まつぞのひさみ)

ヤクルト 元社長[日本]

1994年 12月15日 死去心不全享年73歳

松園尚巳 - ウィキペディアより引用

松園 尚巳(まつぞの ひさみ、1922年7月15日 - 1994年12月15日)は、ヤクルト本社名誉会長、ヤクルトスワローズの初代オーナー、 長崎新聞社長、長崎文化放送初代代表取締役会長を務めた実業家。
双子の兄は同じくヤクルトスワローズのオーナーを務めた松園直已。
来歴・人物= 長崎県南松浦郡三井楽町(現:五島市)出身。
法政大学工業学校を卒業し、法政大学専門部を中退。
その後は海産物やビワなどの行商で生計を立てながら起業資金を蓄えていった。
そうした折、1954年に福岡で乳酸菌飲料「ヤクルト」の販売をしていた従兄弟の山下嘉一から、全国のヤクルトの販売会社を統合した本社組織を立ち上げると聞いた松園は、ヤクルトの創業者永松昇を訪ねて事業参入の許可をもらい、学生時代に住んでいた八王子を拠点にヤクルトの販売業務を始め、1956年6月に関東ヤクルト製造を設立した。
松園は意欲的に事業を拡大して横浜・札幌へも進出し、また積極的に株式を取得して保有数を伸ばすことで本社内での地位を急速に高め、1957年には早くも取締役総務部長に昇進し、1959年には全国ヤクルト製造協同組合の理事長に就任した。
1967年、ヤクルト本社の社長に就任(1988年3月まで21年)。
1969年3月、産経新聞社からサンケイアトムズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)を買収し、同球団のオーナーに就任する。
1977年、長崎新聞社の社長に就任し、1988年まで務める。
地方版を充実させ、プロ野球 ……

松園尚巳さんが亡くなってから、29年と342日が経ちました。(10934日)