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武上四郎 氏(たけがみしろう)

プロ野球選手、監督[日本]

2002年 8月23日 死去享年62歳

武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 2002年8月23日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
経歴= プロ入りまで= 中学時代から子分を40人も持つガキ大将で、進学校の宮崎大宮高校では100m走を10秒9で走る俊足であった。
1年次の1957年に夏の甲子園に出場しているが、自身の出場はなかった。
高校卒業後は1961年に中央大学へ進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1963年秋季リーグ、4年次の1964年秋季リーグと2度の優勝を経験。
3年時のエースは三浦宏(北海道拓殖銀行)であった。
1964年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に二塁手として出場している。
リーグ通算86試合出場、330打数82安打、打率.248、0本塁打、21打点、ベストナイン3回(三塁手2回、二塁手1回)を記録。
大学同期に末次民夫外野手や川口忠外野手、2年下には高橋善正投手がいる。
大学卒業後の1965年に河合楽器へ入社。
1年目の秋の産業対抗では日本楽器に補強され、決勝で日本石油に敗退するが敢闘賞を受賞し、2年目の1966年の都市対抗にも1番打者として出場するなど活躍。
現役時代= 1966年の1次ドラフト8位でサンケイアトムズに指名された。
1967年に入団。
1年目の同年からレギュラーとして活躍し、4月8日の阪神との開幕戦(甲子園)に7番・二塁手で初出場すると、2回表に村山実から右前適時打を放って初打席・初安打・初打 ……

武上四郎さんが亡くなってから、22年と105日が経ちました。(8141日)