関根潤三 氏(せきねじゅんぞう)
元プロ野球選手、監督[日本]
2020年 4月9日 死去老衰享年95歳
関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年〈昭和2年〉3月15日 - 2020年〈令和2年〉4月9日)は、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現・東京都渋谷区)出身(北豊島郡巣鴨町(現・豊島区巣鴨)生まれ)のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
現役時代は近鉄、巨人で活躍。
打者で1000本安打・投手で50勝を記録、またオールスターゲームでは初めての投手・野手の両方でのファン投票選出を記録した。
2003年、野球殿堂入り。
経歴=
現役時代=
アマチュア時代=
藤田省三が監督を務める旧制日大三中へ進学したものの、入学初年度は小柄であったため、練習に参加させてもらえなかった。
2年生に進級後ようやく参加できたが、それでも外野の球拾いであった。
やがて、兼務していた法政大に掛り切りとなった藤田が去り、後任監督から二塁手として抜擢されたのが転機となり、試合に出場できるようになった。
左利きの二塁手が二塁のベースカバーで併殺を完成させるのは難があったが、それでも関根は3度成功させた記憶がある、と『さらば、愛しきプロ野球…。
』の中で語っている。
また投手に抜擢されたのも、この旧制中学時代の頃であったが、杉下茂が居た旧制帝京商などに阻まれ、甲子園への出場は叶わなかった。
卒業後は法政大学経済学部に進学し、東京六大学リーグでは、藤田監督の下で4年間にわたりエースとして活躍。
旧制中学同期の根本陸夫ともバッテリーを組み、3年次の194 ……
関根潤三さんが亡くなってから、4年と226日が経ちました。(1687日)