マサ斎藤 氏(まささいとう)
元レスリング選手、元プロレスラー[日本]
(本名・斎藤昌典)
2018年 7月14日 死去享年77歳
マサ斎藤(マサさいとう、本名:斎藤 昌典 / さいとう まさのり、1942年8月7日 - 2018年7月14日)は、日本のプロレスラー。
東京都中野区出身。
日本プロレスや東京プロレスを経て、フリーランサーとなって新日本プロレスを主戦場に活躍。
アメリカにおいても、NWA、AWA、WWFなど各団体で実績を残している。
第一線を退いてからは新日本プロレスのブッカーおよびコメンテーターとして活動した。
信条は「Go for broke」(当たって砕けろ)。
来歴=
オリンピック出場=
明治大学在学中の1964年、レスリング全日本選手権にて、97kg超級フリースタイル・グレコローマンの両部門で優勝(グレコローマン部門決勝の相手はのちのサンダー杉山こと杉山恒治。
同大会のグレコローマン87kg級では3位)。
同年に日本代表として東京オリンピックのフリースタイル・ヘビー級に出場し、3回戦で敗退している。
プロレスデビュー=
大学卒業後の1965年4月に日本プロレスに入門。
同年6月3日に高崎山猿吉戦でデビュー。
翌1966年6月に日本プロレスを離脱し、豊登が興した東京プロレスに参加する。
アントニオ猪木・豊登に次ぐ三番手のポジションで戦い、一時は登記上の社長も務めた。
しかし東京プロレスは翌年あえなく崩壊。
猪木らを除く大半の所属レスラーは国際プロレスに移籍するが、斎藤は渡米を選択してフリーランスの一匹狼の道を歩むこととなった。
アメリカへ=
アメリカではミスター・サイトー ……
マサ斎藤さんが亡くなってから、6年と130日が経ちました。(2322日)