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武満徹 氏(たけみつとおる)

作曲家[日本]

1996年 2月20日 死去間質性肺炎享年65歳

武満徹 - ウィキペディアより引用

武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1996年〈平成8年〉2月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。
濱田徳昭に対位法・和声を学び、作曲を清瀬保二に師事したが、東京音楽学校の入学試験を放棄。
その後、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。
和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。
人物・来歴= デビューまで= 1930年10月8日に東京市本郷区駒込曙町(現:文京区本駒込一丁目)で生まれる。
父は鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)隈之城町出身で帝国海上保険勤務、祖父の武満義雄は政友会の鹿児島県幹事長を務め、第7回衆議院議員総選挙から第12回衆議院議員総選挙まで衆議院議員を連続6期15年務めた。
両親ともに当時の風潮からするとかなり変わっていた。
山口県出身の母麗子は祖父が漢学者の厳格な家庭に育ったが、女学生時代からコレスポンデンスクラブに入り、外国人と積極的に文通したり、アメリカに行くことを真剣に考えたり、髪型にパーマネントウェイブを真っ先に取り入れたり、軍部批判を声高にしゃべったりする女性だった。
一方、父は脱サラの走りのような人物で、玉突きやダンスの得意な、かなりの放蕩者だった。
会社へはあまり行きたがらず、その早過ぎる死の間際には、「将来、徹を絶対に会社員にしてくれるな」と口にするほどだ ……

武満徹さんが亡くなってから、28年と275日が経ちました。(10502日)