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安藤鶴夫(あんどうつるお)

作家[日本]

1969年 9月9日 死去享年62歳

安藤鶴夫 - ウィキペディアより引用

安藤 鶴夫(あんどう つるお、1908年〈明治41年〉11月16日 - 1969年〈昭和44年〉9月9日)は、日本の小説家(直木賞受賞)、随筆家。
落語、文楽、歌舞伎、新劇の評論家であり演芸プロデューサーでもあった。
国際演劇協会理事。
日本演劇協会常任理事。
本名、花島鶴夫。
「アンツル」の愛称で親しまれた。
生涯= 東京市浅草区向柳原町(現在の東京都台東区浅草橋)に、義太夫の8代目竹本都太夫の長男として生まれる。
1934年(昭和9年)の法政大学文学部仏文科卒業の時に髪を切り、以後、死ぬまでイガグリ頭で通す。
子供のころから親しんだ都新聞社へ途中入社したのは1939年(昭和14年)。
都新聞は花柳界の広告を載せている文芸演芸の紙面に特色のある新聞で社長の福田英助の金言は「とかく人間は色と欲だ。
女の話と金もうけの話をかけば必ず新聞は売れる」であった。
当初は調査部に所属しながら演芸面に落語研究会、東宝名人会、文楽の東京興行を批評する記事を書き、翌年に文化部へ移った。
1946年(昭和21年)に『苦楽』誌に聞書「落語鑑賞」(八代目桂文楽の噺、10話)を連載して評判となった。
社外からの執筆要請が増えたが上層部から問題とされ「真綿で首の、岩藤流のいやがらせをされ」たことから、1947年(昭和22年)9月に退社。
スクリーン・ステージ新聞(キネマ旬報社)に移った。
1949年(昭和24年)には都時代に『東宝』誌に掲載された四代目柳家小さんの芸談「小 ……

安藤鶴夫が亡くなってから、55年と73日が経過しました。(20162日)

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