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慈円(じえん)

・天台座主[日本]

(嘉禄元年9月25日没)

(ユリウス暦) 1225年 10月28日 死去享年71歳

慈円 - ウィキペディアより引用

慈円(じえん、旧字体:慈圓)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧、歌人。
歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。
諡号は慈鎮和尚(じちん かしょう)、通称に吉水僧正(よしみず そうじょう)、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)と紹介されている。
父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀。
摂政関白・九条兼実、太政大臣・藤原兼房は同母兄にあたる。
経歴= 幼いときに青蓮院に入寺し、仁安2年(1167年)に天台座主・明雲について受戒。
治承2年(1178年)、法性寺座主に任ぜられ、養和2年(1182年)に覚快法親王の没後に空席になっていた青蓮院を継いだ(なお、覚快は生前に別の人物に譲る意向があったが、慈円の兄である九条兼実が慈円に譲らせようと圧迫したと伝えられている。
また、行玄から覚快への継承に異論を抱いていた実寛も慈円への継承に反対したため、覚快・実寛両者が没するまで継承できなかったという)。
建久3年(1192年)、38歳で天台座主になる。
その後、慈円の天台座主就任は4度に及んだ。
『徒然草』には、一芸ある者なら身分の低い者でも召しかかえてかわいがったとある。
天台座主として法会や伽藍の整備のほか、政治的には兄・兼実の孫・九条道家の後見人を務めるとともに、道家の子・藤原頼経が将軍として鎌倉に下向することに期待を寄せるなど、公武の協調を理想とした。
後鳥羽上皇 ……

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