菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
浮世絵師[日本]
(元禄7年6月4日没)
1694年 7月25日 死去
菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ、元和4年〈1618年〉? - 元禄7年6月4日〈1694年7月25日〉)は、江戸時代の画家、菱川派の祖。
生年は寛永7年から8年(1630年 - 1631年)ともいわれる。
享年64-65あるいは77。
浮世絵の確立者であり、しばしば「浮世絵の祖」と称される。
来歴=
千葉県鋸南町にある菱川師宣誕生地碑
それまで絵入本の単なる挿絵でしかなかった浮世絵版画を、鑑賞に堪え得る独立した一枚の絵画作品にまで高めるという重要な役割を果たした。
初めは無記名で版本の挿絵を描いており、初作は寛文11年(1671年)刊行の噺本「私可多咄」(無款)また浮世絵役者であるとされ、翌寛文12年(1672年)、墨摺絵本「武家百人一首」(千葉市美術館所蔵)においてその名前(絵師 菱川吉兵衛)を明らかにした。
その後、次第に人気を博し、墨摺絵入り本・絵本を数多く手がけた。
「浮世百人美女」、天和2年(1682年)刊「浮世続」(国立国会図書館所蔵)、天和3年(1683年)刊「美人絵づくし」(ボストン美術館所蔵)などに市井の女たちを描写し評判高く、生涯において100種以上の絵本や50種以上の好色本に筆をとっている。
祖父は藤原七右衛門と云い、京都在住であったが、父の吉左衛門は菱川を称し、安房国平郡保田本郷(現・千葉県鋸南町)に移住、道茂入道光竹と号した。
師宣はここで暮らす縫箔師 の家に生まれた。
俗称を吉兵衛、晩年は友竹と号す。
明暦の大火(明暦3年)の後、万治年 ……
菱川師宣が亡くなってから、330年と116日が経過しました。(120649日)