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安積澹泊(あさかたんぱく)

儒学者[日本]

(元文2年12月10日没)

1738年 1月29日 死去享年83歳

安積澹泊 - ウィキペディアより引用

安積 澹泊(あさか たんぱく、明暦2年11月13日(1656年12月28日) - 元文2年12月10日(1738年1月29日))は、江戸時代中期の儒学者。
諱は覚、字は子先、幼名は彦六、通称は覚兵衛、号は澹泊、澹泊斎、晩年は老圃、老圃常山、老牛など。
物語『水戸黄門』に登場する渥美格之進のモデルとされている。
生涯= 明暦2年(1656年)、水戸に生まれる。
祖父・正信は小笠原家に仕えて軍功あり、後に水戸藩初代徳川頼房に仕え禄400石であったが、父の貞吉は多病でこの禄を辞退し、寄合組となった。
貞吉は儒学を好み詩文をよくし「希斎」と号した。
寛文5年(1665年)9月、澹泊が10歳の頃、2代藩主徳川光圀が朱舜水をともなって水戸に帰国したのを機に、父・貞吉が光圀に願い出て朱舜水に入門させた。
同年暮れには江戸に出て朱舜水のもとで学んだが、翌6年(1666年)7月に父が死去したので水戸に帰り、家督を継いで寄合組となった。
翌7年(1667年)に朱舜水が水戸を訪れると再び教えを受け、翌8年(1668年)朱舜水に従って江戸へ出た。
しかし寛文10年(1670年)春には痘瘡を病んで水戸に帰国した。
澹泊が朱舜水のもとで学んだのは3年ほどであったが、朱舜水は「日本に来て句読を授けた者は多いが、よくこれを暗記し、理解したのは彦六だけだ」と言ったという。
光圀も澹泊の好学を賞して金3両を図書費として与えた。
水戸へ帰った澹泊は同年200石で大番組を命じられ、延宝3年(1675年)小納戸役、 ……

安積澹泊が亡くなってから、286年と294日が経過しました。(104756日)

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