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滝口新太郎(たきぐちしんたろう)

俳優アナウンサー[日本→ソ連]

1971年 10月23日 死去肝硬変享年59歳

滝口 新太郎(たきぐち しんたろう、1913年2月13日 - 1971年10月23日)は日本の元俳優、男性アナウンサーである。
瀧口 新太郎と表記されることもある。
本名同じ。
妻は女優の岡田嘉子である。
来歴・人物= 誕生・子役時代= 1913年(大正2年)2月13日、東京府東京市芝区(現在の東京都港区)に生まれる。
1925年(大正14年)4月、桜田小学校(現在の港区立御成門小学校)を卒業して井上正夫一座に加入。
舞台『ラシャメンの父』『己が罪』『酒中日記』等に子役として出演した後、1926年(大正15年)5月に旗揚げした衣笠貞之助監督の新感覚派映画聯盟第一回作品『狂つた一頁』に師匠である井上が主演を務める事になり、滝口も門衛の息子役で映画デビューを果たす。
1927年(昭和2年)9月、井上と共に松竹蒲田撮影所に入社。
1928年(昭和3年)公開の野村芳亭監督映画『道呂久博士』や『富岡先生』など、主に井上の主演映画に多く出演しており、1929年(昭和4年)、井上が退社した後も滝口は引き続き同撮影所に留まった。
その後、少年期から青年期へ差し掛かり、子役としては難しい時期となって鳴かず飛ばずであったが、1932年(昭和7年)に公開された五所平之助監督の『マダムと女房』に続くトーキー第二作『若き日の感激』で川崎弘子と共演し、一躍、美少年として売り出す。
以後も『銀座の柳』『恋の東京』等、五所監督映画に多く出演するようになり、前髪役者の貴重な存在となった。
……

滝口新太郎が亡くなってから、53年と30日が経過しました。(19388日)

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