河部五郎(かわべごろう)
俳優[日本]
1976年 8月31日 死去心不全享年89歳
河部 五郎(かわべ ごろう、1888年7月5日 - 1976年8月31日)は、日本の俳優である。
本名は大黒 吉次郎(だいこく きちじろう)。
昭和初期の日活映画で活躍したスター俳優である。
来歴・人物=
誕生・舞台俳優として=
1888年(明治21年)7月5日、大阪府大阪市に生まれる。
生後まもなく大阪府堺市に移り、生家は樽屋を経営していた。
小学生時代からチャンバラごっこの餓鬼大将であったが、物心が付くと大変な芝居狂となり、1902年(明治35年)、母親の意見も耳を貸さずに4代目市川市蔵(1868年 - 1944年)の弟子となる。
やがて秋川圭之助の成美団、次いで山田九州男一座に加入。
その後、新派に疑問を感じると新時代劇の自然座を結成し、更に新声劇、河部五郎一座、国精劇などで各地を巡業する。
そんな中、その舞台に注目していたのが当時の日活副社長であった横田永之助(1872年 - 1943年)と同社の重役スターだった尾上松之助(1875年 - 1926年)である。
二人は松之助の後継者として河部を白羽の矢を立てたのであった。
時代劇のスターに=
1925年(大正14年)8月15日、38歳の時に長年の舞台生活に別れを告げ、日活大将軍撮影所に入社。
その日はちょうど阪東妻三郎(1901年 - 1953年)が阪東妻三郎プロダクションを結成し、市川百々之助(1906年 - 1978年)が帝国キネマの花形として台頭していた頃であった。
そして同年10月、築山光吉監督映画『義刃』で主演デビューを果たす。
次いで、松之助 ……
河部五郎が亡くなってから、48年と82日が経過しました。(17614日)