平岡精二 氏(ひらおかせいじ)
ジャズミュージシャン[日本]
1990年 3月22日 死去享年60歳
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である。
日本作曲家協会会員。
人物=
1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。
実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。
シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。
初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。
幼少期、木琴を習い、第二次世界大戦後、青山学院高等部在学中の15歳のころ、村上一徳(1913年 - 1963年)による「村上一徳とサーフライダーズ」に参加、プロとしてデビューする。
1951年(昭和26年)、ゲイ・セプテットに加入、1954年(昭和29年)、青山学院大学経済学部を卒業し、ヴィブラフォン奏者として一本立ちする。
1956年(昭和31年)6月、「平岡精二カルテット」を結成、その後、「平岡精二シックステット」に発展、「平岡精二クインテット」を結成する。
渋みのある音色、抑揚の激しい歌で人気を博す。
トランペット、アルト・サクソフォーン、マリンバなども演奏する。
1958年(昭和33年)、ペギー葉山に『爪』を提供(本 ……
平岡精二さんが亡くなってから、34年と244日が経ちました。(12663日)