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平岡養一 氏(ひらおかよういち)

シロフォン奏者[日本]

1981年 7月13日 死去享年75歳

平岡養一 - ウィキペディアより引用

平岡 養一(ひらおか よういち、1907年8月16日 - 1981年7月13日)は、日本の木琴(シロフォン)奏者。
兵庫県尼崎市出身。
妹はフィギュアスケート選手の平岡露子。
ミュージシャンの平岡精二はいとこの子。
略歴= 平岡養一 元来、東京の家系であるが、実業家の父・寅之助が赴任した尼崎市で生まれる。
父の兄が日本初の野球チーム創設者の平岡凞で、少年も野球の特訓を受け育つが、体格的に不向きであるとわかり野球の道は断念。
小学校在学中に東京へ移住し、慶應義塾幼稚舎・慶應義塾普通部で学ぶ。
この頃ピアノを始めるが、手が小さいためピアノにも不向きであるとわかる。
それでもハーモニカなどを演奏し音楽を楽しむうちに、銀座の映画館「コンパル館」で無声映画の伴奏をしている木琴(シロフォン)に魅せられるようになり、映画館に通う日々が続いた。
中学3年の時に5円の木琴を買い、独学で練習を重ねる。
予科に上がる頃には学生主催のパーティーでの演奏を始め、300円の輸入品の木琴に買い換え本格的な演奏活動へと入っていった。
大学は慶應義塾大学経済学部に進学。
この頃には平岡は多くのレパートリー曲を持つ、木琴のスペシャリストとなっていた。
1927年(昭和2年)5月、帝国ホテルにて最初のリサイタルを開催。
1929年(昭和4年)には当時檜舞台とされていた日本青年館でリサイタルを開催し、成功を収める。
1930年(昭和5年)6月、父に促されアメリカ ……

平岡養一が亡くなってから、43年と131日が経過しました。(15837日)

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