紙恭輔 氏(かみきょうすけ)
ジャズミュージシャン、作曲家[日本]
1981年 3月24日 死去享年80歳
紙 恭輔(かみ きょうすけ、1902年9月3日 - 1981年3月24日)は、日本初の本格的ジャズプレーヤー。
作曲家、指揮者。
日本のジャズ・軽音楽・映画音楽の草分け。
広島県広島市大手町(現在の同市中区大手町)生まれ。
岳父は貴族院議員男爵、日本橋簡易商業夜学校(現在の中央学院大学)初代校長南岩倉具威。
生涯=
広島高等師範学校附属中学校(現在の広島大学附属高校)の一級下に桜田武。
紙は級長で音楽もよくできた。
同校から、第五高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。
中学時代、14、15歳から近くの目黒キネマ(映画館)で、当時ナンバーワン・オーケストラだった波多野オーケストラ(ハタノ・オーケストラ)のメンバー(楽士)、主にベース奏者として、暗がりの中で無声映画の伴奏を行ったといわれる。
当時は浅草帝国館(現在の浅草ROX)や新宿武蔵野館、銀座の金春館など各映画館にオーケストラがあり、紙のいた目黒キネマの大将は徳川夢声だったという。
無声映画の伴奏は、洋画の場合は外国から輸入した楽譜アルバムをメドレーのように演奏、邦画の場合は和洋合奏で「さくら」や「お江戸日本橋」などをユニゾンで揃えて演奏した。
つまり映画館の中でオーケストラが映画の進行に合わせ、既成曲をメドレーのように演奏し、伴奏するのがこの時代の映画の音楽であった。
これら劇場つきの楽団が、自分で適当な曲を選ぶため、同じ映画でも、Aの劇場とBの劇場の ……
紙恭輔が亡くなってから、43年と242日が経過しました。(15948日)