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折原啓子 氏(おりはらけいこ)

女優[日本]

1985年 11月24日 死去急性心筋梗塞享年60歳

折原啓子 - ウィキペディアより引用

折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よしこ〕、旧姓:折原、1926年1月1日 - 1985年11月24日)は、日本の女優。
映画プロデューサーの三上訓利は夫、元・プロ野球選手の篠塚和典は義息(篠塚の妻・嘉津子が実娘)、俳優の三上博史は甥、篠塚宜政(Honda硬式野球部公式ホームページより)は孫(折原の急逝後に生まれた)である。
経歴= 1926年、茨城県北相馬郡小文間村(現・取手市)生まれ。
茨城県立取手高等女学校(現・茨城県立取手第二高等学校)卒業後にタイピストを経て見習い看護婦をしていたが、戦後まもない1945年に大映第1期ニューフェースに応募・合格し、翌46年に『彼と彼女は行く』でデビュー。
以後、『花咲く家族』など約60本に主演し、その美貌が多くのファンの心をとらえた。
人気絶頂の1947年暮れに結核のため病気療養を余儀なくされるも、1949年に復帰を果たす。
1951年に映画プロデューサーの三上訓利と結婚。
1952年に東映と契約し『母の罪』『母系図』『四人の母』など、母もの映画などで新境地を開いた。
1955年に再びフリーとなってからはテレビを中心に活動を続けたが、出産・育児などもあり次第に仕事を抑えはじめ、やがて脇へ回っていく。
1985年11月24日、急性心筋梗塞のため59歳で急逝。
主な出演= 映画= 花咲く家族(1947年) - キネマ旬報ベストテン第9位 看護婦の日記(1947年) 娘十八嘘つき時代(1949年/清水宏監督) 戀の十三夜(1950年) 果て ……

折原啓子さんが亡くなってから、38年と362日が経ちました。(14242日)

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