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丸木スマ(まるきすま)

画家[日本]

1956年 11月14日 死去享年82歳

丸木スマ - ウィキペディアより引用

丸木 スマ(まるき スマ、1875年(明治8年)1月2日 - 1956年(昭和31年)11月14日)は、20世紀に活動した日本の画家。
画家・丸木位里の母親で、自身も70歳を過ぎて絵を描きはじめ、画壇で評価を受けた。
生涯= 幼少時= 広島県安佐郡伴村(現・広島市安佐南区)の農家に生まれる。
1878年(明治11年)、3歳で母親が死去し、叔母に引きとられて暮らす。
窮屈が嫌いで学校へ行かず、読み書きを学ばなかったが、野山を駆けまわり元気に成長した。
主婦として= 1897年(明治30年)、22歳の頃に安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区)の丸木金助と結婚。
太田川中流沿いの船宿兼農家の家業を手伝いながら、位里をはじめ3男1女を生み育てる。
位里に加えて娘のアヤコ(大道あや)も後に60歳を過ぎて絵筆をとり画家となった 。
やがて川船の衰退に伴って家業の船宿が傾き、借金が増えたため、1931年(昭和6年)に家財を売り払って広島市内に転居する。
翌1932年(昭和7年)には三滝町(現・広島市西区)に住む。
1945年(昭和20年)8月6日、広島に原爆が投下されたときには、スマは金助とともに早朝から大八車で市の中心部から材木を運び、帰宅したばかりだった。
スマは風呂場で被災し、家は半壊したが命はとりとめた。
しかし翌年3月に金助は死去した。
画家として= スマが絵を描きはじめた正確な時期は不明だが、戦後ほどなく正月の寄せ書きで石に墨をつけて紙に押しつけ、足を描いてねずみがで ……

丸木スマが亡くなってから、68年と7日が経過しました。(24844日)