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長沼健 氏(ながぬまけん)

元男子サッカー選手、元日本代表監督、元日本サッカー協会会長[日本]

2008年 6月2日 死去肺炎享年79歳

長沼健 - ウィキペディアより引用

長沼 健(ながぬま けん、1930年9月5日 - 2008年6月2日)は、広島県広島市中区袋町出身の元サッカー選手・日本代表選手、元日本代表監督である。
1994年より第8代日本サッカー協会会長を4年務め、その後同協会最高顧問のほか日本フットサル連盟名誉会長、日本ハンディキャップサッカー連盟会長、日本体育協会副会長、埼玉スタジアム2002場長。
来歴= 若年時代= 生年の1930年はW杯の第1回大会が開催された年でもあった。
実家は広島の老舗電気工事業・長沼電業社。
祖父の長沼鷺蔵は賀茂郡御園宇村(現・東広島市)出身の広島藩士で、戊辰戦争の際に結成された「神機隊」の参謀。
明治維新後、廣島県警察部に奉職し刑事係を務めた後、数々の事業を起こしその一つが長沼電業社であり、のち広島有数の実業家となり、広島市議会議員などの要職を務めた。
父親、実兄もサッカー選手。
広島は野球が非常に盛んな地域であるが、進学した旧制広島高等師範学校附属小学校(現・広島大学附属小学校)には野球班(部)がなく、小学校時から自然にサッカーを始めた。
1945年15歳の夏、原爆投下の日には広島市内中心部にあった学校での防空当番が前夜にあり、当日7時までいて、その後8キロ西北の疎開先、現在広島ビッグアーチがある付近・沼田(現・安佐南区沼田)まで自転車で帰る途中、家に着く直前被爆した。
ちょうど山蔭に入ったところで一命をとりとめた。
30分帰りが遅かったら直下だった。

長沼健さんが亡くなってから、16年と172日が経ちました。(6016日)

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