デットマール・クラマー 氏Dettmar Cramer
サッカー指導者[ドイツ]
(「日本サッカーの父」)
2015年 9月17日 死去享年91歳
デットマール・クラマー(ドイツ語: Dettmar Cramer, 1925年4月4日 - 2015年9月17日)は、ドイツのドルトムント出身のサッカー選手、サッカー指導者。
デトマール・クラマーと表記されることもあった。
クラマーは日本サッカー界初の外国人コーチであり、サッカー日本代表の基礎を作り日本サッカーリーグの創設にも尽力したことから「日本サッカーの父」と称された。
来歴=
日本代表対ベトナム代表でのクラマー(右側、左は長沼健監督、1963年10月12日)。
選手だった頃、ドイツのウィクトリア・ドルトムント(Viktoria Dortmund)やSGゲルマニア・ヴィースバーデンなどでプレーしたが、膝の怪我のために1951年に引退した。
指導者としてのキャリアを始め、西ドイツユース代表監督を務めた時期にフランツ・ベッケンバウアーをユース代表に抜擢し、公私両面で指導した。
1960年、1964年東京オリンピックを控えたサッカー日本代表を指導するため、その代行監督としてクラマーが招聘された。
日本サッカー協会は代表強化のために外国人監督を招くことを検討しており、成田十次郎の仲介や会長である野津謙の決断で実現した人選だった。
「サッカー日本代表#歴代監督の一覧」も参照
羽田空港でクラマーを出迎えた岡野俊一郎がクラマーを日本サッカー協会が手配していた宿泊先の山の上ホテルに連れて行こうとしたところ、「日本代表チームのみんなはどこにいるのですか」と尋ね、本郷の、岡野曰く「修 ……
デットマール・クラマーさんが亡くなってから、9年と30日が経ちました。(3317日)