芸能人・経営者のおくやみ情報

堀田哲爾 氏(ほったてつじ)

サッカー指導者[日本]

(元静岡県サッカー協会理事長)

2012年 7月23日 死去びまん性レビー小体病享年78歳

堀田 哲爾(ほった てつじ、1935年8月2日 - 2012年7月23日)は、日本のサッカー指導者。
「清水サッカーの生みの親」といわれ、静岡県のサッカー普及に大きな足跡を残した。
経歴= 1935年(昭和10年)に生まれる。
生家は静岡市(現・静岡市葵区)の華陽院 (寺院)。
7人兄弟の5番目(四男)。
小学生時代は野球をやり、当初は外野手、後に捕手を担当した、中学生よりサッカーを始める。
静岡大学教育学部短期大学部を卒業。
1956年に清水市立江尻小学校(現・静岡市立清水江尻小学校)に教師として赴任。
同校に日本で初めてとなる小学生サッカーチームを創部。
1964年に同チームを「江尻サッカースポーツ少年団」に組織変更。
1966年、清水市小学生対抗サッカー大会を初めて開催する。
1967年、清水市少年サッカーリーグを主宰。
これは全国初の小学生によるサッカーのリーグ戦であった。
1968年、静岡県サッカー少年団育成協議会の副会長に就く。
1969年、各チームの選手を選抜し、「全清水サッカー少年団」を結成。
1977年に「清水FC」に改称。
1970年、清水市蹴球協会理事長に就任。
同年、日本蹴球協会公認指導者養成第1回コーチングスクールを受講し、静岡県コーチングスクールを開く。
1972年、ペプシコーラ社から支援を受け、新聞「静岡ユースサッカー」の発行、中学生サッカー県大会の創設、清水ユース・コーチングスクールの開設に尽力。
同年、清水市で「全国選 ……

堀田哲爾さんが亡くなってから、12年と121日が経ちました。(4504日)

推定関連画像