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平木隆三 氏(ひらきりゅうぞう)

元男子サッカー選手、監督[日本]

2009年 1月2日 死去肺炎享年79歳

平木 隆三(ひらき りゅうぞう、1931年10月7日 - 2009年1月2日)は、大阪府堺市浜寺出身の元サッカー選手(DF)・コーチ・監督。
1993年Jリーグ開幕当時の名古屋グランパスエイト監督。
来歴= 現役時代= 実家は浜寺で鉄工所を経営し、5人兄弟の三男として生まれる。
岸和田高校入学時の1948年から本格的にサッカーを始め、1950年には全国高等学校サッカー選手権大会に大阪府代表として出場し、インサイドFWでベスト4進出に貢献。
高校卒業後は1951年に関西学院大学へ進学し、9月には早稲田大学との定期戦でレギュラーDFとなる。
秋の関西学生リーグと12月の東西学生王座決定戦では優勝を飾るが、この時のFWに長沼健がいた。
3年次の1953年には西ドイツ・ドルトムントで開かれたユニバーシアードに出場し、4年次の1954年に日本代表デビュー。
3月のワールドカップスイス大会予選の韓国戦に出場し、5月に第2回アジア大会代表になって以来、10年間代表選手として活躍。
1956年にはメルボルン五輪アジア予選で韓国と2試合を戦った後に抽選で代表となるが、11月の本大会は1回戦でオーストラリアに0-2で敗退。
天皇杯でも2度の優勝を経験し、大学卒業後の1957年に湯浅電池へ入社し、10月には代表の中国遠征に参加。
1958年に古河電気工業へ移籍すると、5月には第3回アジア大会に参加し、1959年12月にはローマ五輪アジア予選で韓国戦を1勝1敗(0-2、1-0)も得失点差で敗退。
1960年には天皇杯で企業チーム初の優勝 ……

平木隆三さんが亡くなってから、15年と323日が経ちました。(5802日)