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森孝慈 氏

サッカー日本代表監督[日本]

(メキシコ五輪サッカー銅メダリスト)

2011年 7月17日 死去腎盂がん享年67歳

森 孝慈氏(もり・たかじ=サッカー元日本代表選手、同監督)17日午前9時21分、左腎盂(じんう)がんのため、東京都目黒区の病院で死去、67歳。広島県出身。告別式は22日午前11時から、東京都世田谷区瀬田3の6の8の公益社用賀会館で。喪主は妻晴美(はるみ)さん。 広島修道高、早大を経て日本リーグの三菱重工でプレー。早大在学中の1964年から日本代表に選出され、68年メキシコ五輪で全6試合にフル出場して銅メダル獲得に貢献した。77年に現役を引退し、81年に日本代表監督に就任。85年のワールドカップメキシコ大会アジア最終予選では本大会まであと一歩と迫ったが、韓国に激闘の末敗れた。その後はJリーグの浦和、福岡の監督などを歴任し、2006年に日本サッカー殿堂入りを果たした。 (2011/07/17-19:34)

森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011年7月17日)は、広島県福山市出身のサッカー選手、サッカー指導者。
現役時代のポジションはミッドフィルダー。
サッカー日本代表として56試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。
「浦和レッドダイヤモンズの父」「浦和レッズ生みの親」と称される。
実父は教師、広島県庁および日本体育協会職員で、原爆被災後の広島市内の様に衝撃を受け、街をうろつく原爆孤児を引き取り、戦後広島湾・似島に似島学園を設立したことで知られる森芳麿。
実兄は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創設へ大きな舵取り役を果たした森健兒。
選手時代 福山市西町で生まれる。
父・芳麿の似島学園創設に伴い一家で似島に転居し、孝慈は2歳から中学三年まで広島市似島で育ち、高校からは学校近くに一人で下宿した。
小学校4年からは毎日船に乗って島外の学校へ通学、広島市立皆実小学校、修道中学校・修道高等学校で学んだ。

元日本代表のサッカー選手・監督。 ポジションはミッドフィルダー。 1943年11月24日生まれ。 広島県広島市出身。森健兒は実兄。 修道高校から早稲田大学へ進学。早稲田時代にはキャプテンを務め、天皇杯を制した。 卒業後は三菱重工業に入社。 1964年、東京オリンピックに出場。 1968年、メキシコオリンピックにも出場し銅メダルに貢献した。 1969年には三菱の初優勝に貢献した。 引退後は西ドイツにコーチ留学。 帰国後の1980年、川淵三郎監督下でコーチを務める。 翌1981年からサッカー日本代表監督に就任。1985年まで務める。 Jリーグ発足時には浦和レッズ初代監督に就任も、成績低迷の責任を取り1994年辞任。 1995年、横浜マリノスゼネラルマネージャー就任。1997年まで務める。 1998年、アビスパ福岡監督就任。1年で退任。 2001年12月より浦和レッズゼネラルマネージャー。後に取締役も務める。 2005年シーズンを最後に勇退。 2006年、第3回日本サッカー殿堂入り。 2011年7月17日、死去。67歳だった。 (引用元 Hatena Keyword)