森健兒 氏(もりけんじ)
元男子サッカー選手、元日本サッカー協会専務理事[日本]
2022年 8月24日 死去享年86歳
森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - 2022年8月24日)は、広島県福山市生まれ、広島市似島育ちの元サッカー選手。
木之本興三と共にJリーグを創設した最大の功労者である。
また女子サッカー不遇の時代に環境整備に奔走した「女子サッカーの父」。
Jリーグ専務理事、日本サッカー協会専務理事、日本体育協会理事、日本サッカー協会特別顧問等を歴任した。
森孝慈は実弟。
元スポーツキャスターの森陽詩夏は実娘。
経歴=
生い立ちから三菱重工時代=
森の祖先は、江戸時代に安芸国筒賀村(現:広島県安芸太田町)で安芸門徒の僧侶だった大瀛。
両親とも教師。
父・芳磨は広島県庁の体育主事で、日本体育協会の仕事もしていた。
また、産業報国会のメンバーでもあり1945年、太平洋戦争末期に単身広島市へ転勤の後、原爆投下の1ヶ月前に産業報国会の東京本部に転勤、このため被爆を免れた。
県庁の同僚はほとんどが亡くなった。
父親はこれを「自分は生かされた」運命と信じ、終戦後街をうろつく原爆孤児を引き取り、広島湾・似島に似島学園を設立した。
設立にあたり、広島県と広島市にかけあい、島の北東部の旧陸軍施設を借り受け、職員と児童が自ら山林などを切り開いて施設を作った。
森兄弟もこれに伴い似島で育った。
兄弟で子供の頃からサッカーに熱中し、修道中学・修道高校と進んだ。
健兒をサッカー部に誘ったのは、後に藤和不動産サッカー部(現:湘南ベルマー ……
森健兒さんが亡くなってから、2年と89日が経ちました。(820日)