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淀殿(よどどの)

豊臣秀吉側室[日本]

(本名・浅井茶々、慶長20年5月8日没)

1615年 6月4日 死去自害

淀殿 - ウィキペディアより引用

淀殿(よどどの、永禄12年〈1569年〉? - 慶長20年5月8日〈1615年6月4日〉)は、戦国時代から江戸時代初頭の女性。
豊臣秀吉の妻で、側室または複数の正室の一人(後述)。
本名は浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)。
浅井三姉妹の長女。
概要= 近江国の戦国大名・浅井長政と織田信長の妹・市の間に生まれ、同母妹に初(常高院、京極高次正室)と江(崇源院、徳川秀忠正室)がいる。
父は信長と対立して敗死、母の再婚相手の柴田勝家も豊臣秀吉に敗れ市・勝家は自害した。
その後三姉妹は秀吉の庇護を受け長女の淀殿はその妻の一人となった。
秀吉との間には棄(鶴松、夭折)と拾(秀頼)が生まれ、姪の完子を猶子として育てた。
秀吉の死後は幼い秀頼の後見として大坂城に住み、京都に住んだ高台院とともに豊臣家を支える立場となったが、大坂夏の陣に敗れ秀頼とともに自害した。
生涯= 母と二人の父の死= 近江国小谷(現・滋賀県長浜市)に生まれる。
生年は旧来江戸時代成立の『翁草』に死去時49歳とあることから、逆算して永禄10年(1567年)とされることが多かった。
しかし淀殿と秀頼が慶長11年(1606年)に有卦に入るために義演に修法させていることから井上安代は淀殿の生年を永禄12年(1569年)と推定し、現在の通説となっている。
乳母は大蔵卿局(大野治長の母)・饗庭局(大叔母にあたる海津殿の次女)・大局(前田利家の弟にあたる佐脇良之の室)の三人が明らかになってい ……

淀殿が亡くなってから、410年と152日が経過しました。(149905日)

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