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小倉朗 氏(おぐらろう)

作曲家[日本]

1990年 8月26日 死去享年75歳

小倉 朗(おぐら ろう、1916年1月19日 - 1990年8月26日)は、日本の作曲家。
本名:小倉晋(すすむ) 、旧姓は小林。
人物・来歴= 生い立ち= 鉄道技師小林源松の五男として福岡県門司市(現北九州市門司区)の鉄道官舎に生まれ、生後3ヶ月から東京市京橋区木挽町(現東京都中央区)の銅鉄商小倉家の養子として東京に育つ。
6歳からピアノの手ほどきを受け、蓄音機やオルガン、ギター、マンドリンがある家で育つ。
母から音楽家になるよう勧められ、声楽家下八川圭祐の紹介で深井史郎に師事する。
易に凝っていた母から「朗」の字を贈られる。
青年期= 1933年、早稲田第一高等学院仏文科にはいるが、下八川圭祐の主宰するコーラスで歌ったり、新交響楽団の打楽器の見習いなどをやり、学校は1学期で中退。
1934年、東洋音楽学校に1学期在籍し中退するが、尾崎宗吉を知る。
1935年、アテネ・フランセに通い、ピアノを高木東六に習い、深井史郎から菅原明朗を紹介される。
1936年、明治大学文芸科に2学期在籍し中退するが、音楽部を通じて音楽仲間が広がる。
同年服部正が創設したコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)に、打楽器奏者として参加している。
歌曲「遠き笛の叙情」を作曲する。
1937年、日本現代作曲家連盟に加入し、連盟の発表会で初演された「ピアノ・ソナチネ」「ヴァイオリン・ソナタ」などが高く評価される。
1938年、草野心平、深井史郎ら詩人と作曲家の ……

小倉朗さんが亡くなってから、34年と87日が経ちました。(12506日)

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