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林敏夫(はやしとしお)

俳優[日本]

1945年 8月13日 死去戦死享年31歳

林敏夫 - ウィキペディアより引用

林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945年8月13日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である。
本名同じ。
第二次世界大戦で戦死した。
人物・来歴[編集] 1915年(大正4年)5月14日、大阪府大阪市南区玉屋町(現在の同府同市中央区東心斎橋付近)に生まれる。
祖父が初代中村鴈治郎、父が二代目林又一郎、叔父が二代目中村鴈治郎という歌舞伎一家に生まれた。
1921年(大正10年)、数え年7歳にして大阪・中座で初舞台を踏む。
作品は『菅原伝授手習鑑』四段目『寺小屋』、菅丞相の子「菅秀才」役であった。
以来、鴈治郎一座で歌舞伎役者として活動する。
役者としての活動の傍ら、旧制・浪速中学校(現在の浪速高等学校)に進学、同校を卒業したのち、満18歳を迎える1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社する。
同年11月1日に公開された冬島泰三監督のサウンド版『初陣』で映画界にデビューした。
同作は、白虎隊を主題にし、「新スター林敏夫」をプロモーションする意図のあった作品で、同社は林長二郎(のちの長谷川一夫)、坂東好太郎、高田浩吉といったスターをそろえて、敏夫の「初陣」を飾った。
翌1934年(昭和9年)3月8日に公開された同監督の『夜襲本能寺』に、林長二郎演じる明智光秀に助演して、森蘭丸を演じた。
1937年(昭和12年)10月1日に公開された秋山耕作監督の『蒙古襲来 敵国降伏』を最後に映画界を去り、舞台に復帰した。
満26歳になる1941年(昭和16 ……

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林敏夫が亡くなってから、78年と348日が経過しました。(28838日)