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白鳥庫吉(しらとりくらきち)

歴史学者・東洋史[日本]

1942年 3月30日 死去享年78歳

白鳥庫吉 - ウィキペディアより引用

白鳥 庫吉(しらとり くらきち、1865年3月1日(慶応元年2月4日) - 1942年(昭和17年)3月30日)は、日本の歴史学者。
東京帝国大学(現:東京大学)教授、東洋文庫理事長を歴任した。
専門は東洋史。
文学博士。
邪馬台国北九州説の提唱者として有名。
来歴= 上総国長柄郡長谷村(現:千葉県茂原市)に、白鳥嘉一郎と徳の次男として生まれる。
戸籍名は倉吉であるが、これは村役人が誤って登録した名前である。
庫吉本人も本名は庫吉と語っていた。
1883年千葉中学卒業、1887年一高卒業、1890年帝国大学(のち東京帝国大学、現在の東京大学)文科大学史学科卒業。
帝大在学中はルートヴィヒ・リースに師事した。
1891年8月学習院教授。
1900年、文学博士。
1901年から1903年末まで、学習院に命じられてヨーロッパへ留学。
1904年に帰国し、東京帝国大学文科大学史学科教授を兼任する。
1907年、東洋協会学術調査部を設立して『東洋学報』の創刊に携わる。
1911年、本務を東京帝国大学教授とし、学習院教授を兼任とする。
1912年に当時の学習院院長であった乃木希典が明治天皇に殉じ自決した際は、後任となる大迫尚敏が着任するまで事務取扱(院長代行)を務めた。
1914年、東宮御学問所御用掛として東宮時代の昭和天皇の教育にも携わる(1914年 - 1920年)。
1919年、帝国学士院会員。
1922年東京帝国大学の命で再度ヨーロッパに渡り、フランス政府から文化功労勲章を受ける。
1923年 ……

白鳥庫吉が亡くなってから、82年と236日が経過しました。(30187日)

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