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那珂通世(なかみちよ)

歴史学者[日本]

1908年 3月2日 死去心臓発作享年58歳

那珂通世 - ウィキペディアより引用

那珂 通世(なか みちよ、1851年2月6日(嘉永4年1月6日) - 1908年(明治41年)3月2日)は、南部藩出身の明治時代の歴史学者、文学博士。
学問領域及び教科名としての「東洋史」創唱者とされる。
生涯[編集] 陸奥国岩手郡盛岡城下にて盛岡藩士・藤村盛徳の三男として生まれる。
幼名は荘次郎。
その優れた才能を買われ、14歳の時に藩校作人館の句読師であった儒官江帾通高(梧楼)から乞われ養子となった。
藩主南部利恭の近侍となり、養父が「那珂」と改姓したのに伴い、「那珂通世」を名乗った。
戊辰戦争における敗戦を経験し、江戸の越前藩邸に預けられる。
明治維新後は英学を志し、初めは山東一郎主宰の北門社に入塾したが、まもなく福澤諭吉の書生となり、1872年(明治5年)に慶應義塾別科に入塾、1876年(明治9年)、26歳の時に「日本古代文字考」を『洋々社談』に発表。
慶應義塾別科を卒業後、福澤の推薦で師範学校・中学校・巴城学舎などの教師を務め、後に千葉師範学校、東京女子師範学校の校長を歴任し、女子教育に尽力した。
1890年代には華族女学校教授、高等師範学校及び第一高等学校教授に就任。
1896年(明治29年)には帝国大学文科大学の嘱託講師を務めた。
その間、日本・朝鮮・中国の歴史における実証的な研究を多く発表。
1900年(明治33年)には国語調査委員を命ぜられ、高等官三等(従五位)に累進した。
1901年(明治34年)、文学博士の学位を取得。
代表 ……

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那珂通世が亡くなってから、116年と147日が経過しました。(42516日)