ジャン=ピエール・モッキー 氏Jean-Pierre Mocky
映画監督、プロデューサー、俳優[フランス]
(芸名・Jean-Paul Adam Mokiejewski)
2019年 8月8日 死去享年87歳
ジャン=ピエール・モッキー(Jean-Pierre Mocky, 1933年7月6日 -2019年 8月8日)は、フランスの映画監督、俳優、脚本家、映画プロデューサー、編集技師である。
かつての公称生年月日は「1929年7月6日」であった。
本名ジャン=ポール・アダム・モキイェフスキ(Jean-Paul Adam Mokiejewski)。
人物・来歴=
1933年(昭和8年)7月6日、フランスのアルプ=マリティーム県ニースに生まれる。
1942年、マルセル・カルネ監督の"Les visiteurs du soir"にエキストラとして初めての映画出演を果たした。
戦時中から戦後にかけて俳優をしながらタクシー運転手で生計を立てていたところ、たまたま乗客として知り合った俳優のピエール・フレネーに気に入られ、彼の庇護を受けるようになる。
その後、パリ国立高等音楽・舞踊学校に入学してルイ・ジューヴェの指導を受けた。
また、同級生のジャン=ポール・ベルモンドとも親しくなり、ベルモンドとの名前の混同を避けるために芸名を「ジャン=ピエール」に変えることを決めた。
1952年、ミケランジェロ・アントニオーニに見いだされ、オムニバス映画『敗北者たち』(1953)のフランスのエピソードに主演。
本作をきっかけにイタリアで俳優としての人気が高まり、イタリア映画への出演が相次ぐ。
1954年(昭和29年)、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』に出演し、助監督も務める。
同時期、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』(1954)でも助監督を務めた。
1958年に、 ……
ジャン=ピエール・モッキーさんが亡くなってから、5年と106日が経ちました。(1932日)