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春日八郎 氏(かすがはちろう)

演歌歌手[日本]

1991年 10月22日 死去肝硬変享年68歳

春日八郎 - ウィキペディアより引用

春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年〈大正13年〉10月9日 - 1991年〈平成3年〉10月22日)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。
代表曲は「赤いランプの終列車」「お富さん」「別れの一本杉」。
人物= 歌手となる= 父・鬼佐久は農業を母・キヨに任せて蕎麦打ちの行商をやり、キヨは小学校で週2、3度裁縫を教え、夜は賃仕事の仕立物に精出して家計を助けていた。
父は尺八を、母は三味線を嗜んでいた。
父は蕎麦打ちの名人で、母は当地の花嫁衣装を一手に引き受けるほどの和裁の名手でもあった。
春日には妹二人のほかに「ほとんど記憶にない」異母兄姉6人、異父兄姉が4人いた。
1930年に八幡村立八幡尋常小学校へ入学するが、この時期は「歌のうの字も知らない」状態で、人からうまいといってほめてもらった記憶もなかった。
この頃、村に時折来る旅芸人の少年たちに憧れ、太神楽の一座に入ることを夢見るが、母の反対にあって断念。
尋常小学校時代は機械作りの好きな理系少年で、当時の友人によると「大変な腕白」であった。
1937年に旧制福島県立会津中学校に入学し、片道1時間かけての汽車通学中にエクボの目立つ少年として女学生たちの注目の的となる。
父が狭心症の悪化により死去。
残った父の思い出は叱責された記憶ばかりであった。
1939年3月に稼ぎ手が一人となった家計の負担を減らすため、旧制会津中学を中退し、母の心づく ……

春日八郎さんが亡くなってから、33年と162日が経ちました。(12215日)

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