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十朱久雄 氏(とあけひさお)

俳優[日本]

1985年 12月18日 死去肺がん享年78歳

十朱久雄 - ウィキペディアより引用

十朱 久雄(とあけ ひさお、1908年9月8日 - 1985年12月18日)は、日本の俳優。
本名は小倉 久雄。
東京府東京市日本橋区小網町(現:東京都中央区日本橋小網町)出身。
軽妙洒脱な演技で多くの映画に出演し、個性派の脇役俳優として活躍した。
戦前は長岡輝子らのテアトル・コメディに参加し舞台で活動、戦後から映画に出演し、作品数は250本を超える。
来歴= 幼いころから芸の世界に親しみ(⇒人物)、暁星小学校から京華中学校を経て法政大学経済学部に入学し、在学中の1928年に高見順主宰の劇団制作座に参加。
1930年、大学の先輩だった三島雅夫の紹介で知り合った金杉惇郎や、フランスから帰国したばかりの長岡輝子らが結成したテアトル・コメディの創立に参加し、『ジャン・ド・ラ・リュンヌ』の主役で初舞台を踏む。
発足当時の劇団には森雅之、松山崇、杉浦幸雄らがおり、遅れて北沢彪、飯沢匡らが加わった。
1933年に大学を卒業。
1936年にテアトル・コメディが解散すると、伊馬春部主宰の東宝新喜劇に入り、同年にはムーラン・ルージュに入団。
1937年、父の意向で奈良の繊維会社に事務員として入社し、芸能界と縁を切る。
1939年に結婚。
戦後の1946年、NHK大阪放送局のラジオに出演して芸能界復帰。
1950年7月には東京に戻って文学座に客員として入り、『娼婦マヤ』等の舞台に立つ。
1951年、『自由学校』で映画初出演。
1952年の『本日休診』ではとぼけ役を巧演。
1953 ……

十朱久雄さんが亡くなってから、39年と306日が経ちました。(14551日)

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