明石元二郎(あかしもとじろう)
台湾総督、陸軍大将、男爵[日本]
1919年 10月26日 死去享年55歳
明石 元二郎(あかし もとじろう、1864年9月1日(元治元年8月1日) - 1919年(大正8年)10月26日)は、明治・大正期の日本の陸軍軍人。
陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。
第7代台湾総督。
福岡藩出身。
妻は国子(郡保宗の二女)、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。
明石泰二郎(陸士27期、陸軍少将)は甥。
経歴=
生い立ち=
福岡藩士・明石助九郎貞儀の次男として元治元年(1864年)に福岡藩・福岡城下の大名町に生まれる。
明石家の家格は「大組」(福岡藩黒田家の家中で、最上位の家格「中老」に次ぐ2番目の家格。
)であり、1300石の大身であった。
1877年(明治10年)6月に陸軍士官学校幼年生徒となった。
1883年(明治16年)12月25日、陸軍士官学校(旧陸士6期)を卒業し、同日、歩兵少尉に任じられた。
更に1889年(明治22年)に陸軍大学校(5期)を卒業する。
ドイツ留学、仏印出張、米西戦争のマニラ観戦武官を経て、1901年(明治34年)にフランス公使館付陸軍武官となる。
1902年(明治35年)にロシア帝国公使館付陸軍武官に転任、のちに首相となる田中義一陸軍武官から業務を引き継ぐ。
当時からロシア国内の情報を収集し、ロシアの反政府分子との接触を試みる工作活動が行われていた。
首都ペテルブルクのロシア公使館に着任後、日英同盟に基づいた情報協力により、イギリス秘密情報部のスパイであるシドニー・ライリーと知り合い、友人となった。
明石の依頼により、ラ ……
明石元二郎が亡くなってから、105年と27日が経過しました。(38378日)