芸能人・経営者のおくやみ情報

村上冬樹 氏(むらかみふゆき)

俳優[日本]

2007年 4月5日 死去胃がん享年97歳

村上冬樹 - ウィキペディアより引用

村上 冬樹(むらかみ ふゆき[出典 1]、1911年〈明治44年〉12月23日[出典 2] - 2007年4月5日[5])は、日本の俳優。
山口県徳山市出身[6][注釈 1]。
本名は村上 済州(むらかみ さいしゅう)[8][7][9]。
旧芸名は新田 地作[10]。
来歴・人物= 徳山で生まれ、父親の仕事の都合で兵庫県神戸市、神奈川県横浜市、東京府と移り住み、両親との死別後は福岡県で育つ[6]。
福岡市立大名小学校、中学修猷館、中学明善校、旧制福岡高等学校を経て[6]、東京帝国大学経済学部卒業[4][9]。
大学卒業後、1934年9月に新築地劇団の研究生となり、俳優活動を始める[4][11]。
1936年に劇団員に昇格[11]。
1938年の『黒田誠忠録』が映画デビュー作[6][9]。
1940年3月に新築地劇団を退団[12][注釈 2]。
5月に芸術小劇場の客員となる[11]。
8月、新築地劇団は新田を除名処分としたことを発表した[12]。
1942年には大映に準専属として所属し[11]、芸名を新田地作から本名の村上済州に変更[13]。
同年8月に応召を受け、1945年に復員[11]。
フリーランス期間[11]、民衆芸術劇場を経て[14]、1950年にトーキョー・ラジオ・グループの創立に参加[15]。
同年、東宝と契約し[4][11][注釈 3]、映画を中心に活躍。
東宝の特撮映画などでは、知的な風貌から学者役を数多く演じた[4]。
1956年に劇団現代座を設立[6][9]。
1960年に東宝の専属を離れた後は二月プロを経て[11]、グループNLTに所属[8]。
1968年、三島由紀夫、中村伸郎らと劇団「浪曼劇場」を結成[6] ……

村上冬樹さんが亡くなってから、18年と87日が経ちました。(6662日)

推定関連画像