久松保夫 氏(ひさまつやすお)
俳優[日本]
1982年 6月15日 死去享年64歳
久松 保夫(ひさまつ やすお、本名:高橋寛、1919年6月6日 - 1982年6月15日)は、日本の俳優、声優、青二塾(東京校)初代塾長。
最終所属は青二プロダクション。
妻は舞踊家の花柳多美(元日劇ダンシングチーム、浜田多美子)。
ダンサーの濱田昌子は妻の妹。
経歴=
東京府東京市日本橋區久松町(現・東京都中央区日本橋久松町)出身(※芸名は出身地名に由来)。
本籍は東京都中央区日本橋浜町二ノ四〇。
縫箔屋の四代目の江戸っ子として生まれ、中学時代の頃に両親に先立たれている。
東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)弁論部を経て、青山学院(現・青山学院大学)神学部へ入学。
日曜日には教会に出かけ、日曜学校に集まっていた幼い子供達に童話などを読み聞かせをしていた。
同じ境遇の幼い子供ら世の荒波から守ろうと、牧師を志す。
その頃、大日本帝国陸軍の大陸侵攻策は、満州事変から日中戦争へと、戦争拡大への道を歩みはじめており、平和を破壊する軍部の圧力に対し、声を大にして「否!」と叫べぬ宗教界の力のなさに失望して、演劇の虜になり、1938年9月に中退。
同年新築地劇団入団。
ただし俳優ではなく経営部に籍を置き、劇団運営や客集めといった裏方として奔走する。
舞台に上がるきっかけは、地方公演の同行でたまたま俳優が足りないゆえの頭合わせで、1939年『海援隊』で初舞台を踏む。
この時の発声や役者向きの顔が評価されて帰京後、 ……
久松保夫が亡くなってから、42年と159日が経過しました。(15500日)