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諏訪根自子 氏(すわねじこ)

バイオリン奏者[日本]

2012年 3月6日 死去享年93歳

諏訪根自子 - ウィキペディアより引用

諏訪 根自子(すわ ねじこ、1920年(大正9年)1月23日 - 2012年(平成24年)3月6日)は、日本のヴァイオリニスト。
結婚後の本名は大賀 根自子(おおが ねじこ)。
可憐な容姿であったことから国民的な人気を得て「美貌の天才少女」と一世を風靡したほか、ヨーロッパに留学してベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演を果たすなど、国際的に活躍した。
来歴= 東京府出身。
父親の諏訪順次郎は、山形県庄内地方の豪商で肥料会社を経営する資産家・諏訪八右衛門の子。
母親の滝は、酒田高等女学校在学中には声楽家を志望していた。
滝は音楽学校進学のため斎藤茂吉のもとで行儀見習いとして生活していた。
順次郎の懇請の末、滝は順次郎に嫁いだ。
根自子が5歳前後に、諏訪家が経営する廻船問屋が倒産し一家は困窮した。
順次郎は有島武郎、有島生馬など白樺派の作家、芸術家と親しく、クラシック音楽のレコードを購入してきた。
これを聴いた幼い根自子が正確な音程で歌うのを聴き、滝は1923年、満3歳の根自子をロシア出身のヴァイオリニスト小野アンナの弟子、中島田鶴子に入門させた。
1年後、根自子はその才能を認めたアンナに直接師事してヴァイオリンを習う。
また、やはり白系ロシア人のアレクサンドル・モギレフスキーにも習う。
1927年に生馬の紹介で一条公爵家の園遊会で演奏会を行い、1929年に小野アンナ門下生の発表会で演奏して次第に注目を集め、1930年秋、来日 ……

戦前から戦後にかけて国際的に活躍したバイオリニストの諏訪根自子(すわ・ねじこ、本名大賀根自子=おおが・ねじこ)さんが3月6日に東京都杉並区の自宅で死去していたことが25日、分かった。92歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主はおいで詩人のノブキソウイチロウ氏。 東京都出身。12歳でデビューし、「天才少女」と評された。16歳からベルギーに留学して欧州で活動、ベルリン・フィルなどとも共演した。ナチス・ドイツのゲッベルス宣伝相から贈られたストラディバリウスを使用したことでも知られる。 終戦後に帰国。1960年ごろからは一線を退いていたが、80年代に一時復帰して話題を集めた。 

諏訪根自子さんが亡くなってから、12年と283日が経ちました。(4666日)

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