大田黒元雄(おおたぐろもとお)
音楽評論家[日本]
1979年 1月23日 死去享年87歳
大田黒 元雄(おおたぐろ もとお、1893年1月11日 - 1979年1月23日)は、日本の音楽評論家である。
日本における音楽評論の草分けとして知られる。
人物・来歴=
裕福な環境=
1893年(明治26年)1月11日、東京府(現在の東京都)に生まれる。
大田黒の父は、日本の水力発電の先駆者で、芝浦製作所(現東芝)の経営を再建し、財をなした大田黒重五郎(-じゅうごろう)である。
父・重五郎は、江戸時代には徳川幕府の御家人で、小牧(こまき)が本姓であった。
元熊本藩の大田黒惟信(-これのぶ、砲術家)の次女・らく(1925年没)と結婚し、以後大田黒姓を名乗ることとなった。
元雄は長男で一人っ子、幼時について、父・重五郎は、「元雄は、幼い時から一度だって、頭なんか叩かないで済んで来た。
私は元雄をつかまえて、「馬鹿」だなどと言って子供をいぢめたことを知らない。
これも妻が良い女であったから、私が頭を擲(なぐ)らずに済むやうな子供をつくりあげて呉(く)れたのかも知れない。
現在でも一時(ひとこと)だって争ひの種子(たね)もない。
もう一つ幸(さいはひ)なことは、元雄夫婦の間にも争ひがないことである」と話している。
元雄は、父重五郎の築き上げた裕福な環境で生涯を過ごし、黎明期の写真史に『写真芸術』同人として、福原有信や福原路草、石田喜一郎らと自由で重要な活動を遺し、また生涯にわたって自由な立場から音楽のみならず様々なジャンルで ……
大田黒元雄が亡くなってから、45年と303日が経過しました。(16739日)