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福原有信(ふくはらありのぶ)

資生堂創業者[日本]

1924年 3月30日 死去享年77歳

福原有信 - ウィキペディアより引用

福原 有信(ふくはら ありのぶ、嘉永元年4月8日〈1848年5月10日〉 - 大正13年〈1924年〉3月31日)は、日本の実業家。
第3代日本薬剤師会会長、資生堂を創業した。
略歴= 安房国松岡村(現・千葉県館山市)の郷士の家に、平民である福原市左衛門の次男として生まれる。
1865年、18歳で幕府医学所に入って西洋薬学を学び、現代で言う薬剤師として2年後の1867年から同所で雇われる。
1868年7月に東京大学病院雇、1869年に大学東校(現在の東京大学医学部)中司薬(職員)となり、1871年海軍病院薬局長となる。
その翌年の1872年、23歳の時には、官を辞して、民間初の洋風調剤薬局となる資生堂を銀座に開業。
当時の日本にはなかった医薬分業を唱えた。
1888年には日本初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」を、1897年には化粧水「オイデルミン」を発売。
1917年には化粧品部を独立させて、今日の資生堂の基礎を築いた。
また、1888年には、設立発起人として帝国生命保険(現在の朝日生命保険)の設立に加わり、社長として生命保険の普及に貢献した。
1907年創立より関わっていた日本薬剤師会の第3代会長に就任。
1920年に箱根に完成した福原有信の大規模な山荘は、初代資生堂社長で、写真家でもあった三男の福原信三がフランク・ロイド・ライトに設計を依頼し、1918年に設計されたものである。
1921年に緑綬褒章を、1924年に従五位勲四等瑞宝章を受ける。
家族= 妻・とく ‐ 鈴木喜三郎の長女 長男: ……

福原有信が亡くなってから、100年と236日が経過しました。(36761日)