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岩垂邦彦(いわだれくにひこ)

日本電気 創業者[日本]

1941年 12月20日 死去享年85歳

岩垂邦彦 - ウィキペディアより引用

岩垂 邦彦(いわだれ くにひこ、安政4年8月15日(1857年10月2日) - 昭和16年(1941年)12月20日)は技術者、日本の実業家。
日本で最初の外資との合弁企業である日本電気株式会社の創業者。
勲五等。
来歴= 豊前国豊津(現在の福岡県京都郡みやこ町、旧・豊津町)に小倉藩士・喜田村修蔵の次男として生まれる。
修蔵は岩垂家から喜田村家に婿養子として入ったが、岩垂家の後嗣がなかったため、邦彦が岩垂家を継ぐこととなった。
1868年(明治元年)[要検証 – ノート]に修蔵が東京で暗殺されたため、仇討ちを志して兄とともに上京した。
しかし、国家に尽くすことが真の孝行と考えて仇討ちを断念し、豊津に戻ると1870年(明治3年)[要検証 – ノート]に小倉藩が開校した育徳館およびその分校である洋学校で学ぶ。
1875年(明治8年)に再度上京して同年10月工学寮の予備教育校に入学。
翌年4月に工学寮(在学中に工部大学校に改組)に官費入校した。
1882年(明治15年)に工部大学校電信科(現:東京大学工学部)卒業後、工部省の電気技師として従事する。
1886年(明治19年)に横浜にあるフレーザー商会の紹介状を手に渡米し、エジソン・マシンワークス(現:ゼネラル・エレクトリック)に入社。
テスティング・ルームと呼ばれるトーマス・エジソンの施設で勤務する。
1888年(明治21年)に大阪電灯(関西電力の前身企業の一つ)の設立にあたり、技師として招聘を受けるとと ……

岩垂邦彦が亡くなってから、82年と336日が経過しました。(30287日)

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